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可処分時間争奪戦

そのモノの「価値」は何か?「対価」を払う意義は?」というエントリで、以下の重要な示唆があった。

フリーペーパーに対する対価は時間である。 時間は1年365日。1日24時間と人間に等しく配分されている。そのうち、自らが自由にできる「可処分時間」をどう使うかは、極めて多忙な現代人にとって大きな関心事である。

その昔は、家族の会話だけだったかも知れませんが、そこにラジオが入りテレビが入り、さらに新聞や雑誌、そしてゲームやインターネットが参入してきて、可処分時間は増えないものの、争奪戦に参戦しているメディアはその数を増している。

ともすると子供たちはお父さんとの対話よりもテレビやゲームを選び、妻の世間話よりもR25を読む方を選択している場合もあるだろう。
今後のイノベーションキーワードはやはり「時間」だろう。(私が言い出さなくても、元々「時間」だったのでしょう)


テレビもCMスキップとかHDDの容量拡大(タイムシフト)で、さらに主体的になり、YouTube登場で「自分の好きなものだけを見る」になってくる。(著作権的には問題あるだろうけど)

以前のエントリで、時事通信社の「爆発するソーシャルメディア」を聞きに行った話を書いた。その中で、佐々木氏が

超整理法というのが流行ったが、それから個人で扱う情報が増え続け、もうその方法は古くなっている。ライフハックという手法があるが、平凡な言い方で言えば、生活の知恵という言い方になる
(かなりの意訳あり)

つまり、直接に時間を意識するか否かは別として、主体的にやりたい事を選んで行くと、自ずから自分の中でプライオリティの高いものの時間が増えて行く。

必要不可欠なメディアで、ネットがTVに肉薄」のデータを見ると、ネットの重要性が増す分だけ、テレビや新聞・ラジオの重要性が薄らいでいる。つまりだんだんと1st screenの地位にネットが迫っているという状況にもある。

それだけメディアの数や種類が増えていると意識して、可処分時間という基本概念を考え、新たなインターネットサービスを考えるというのは、以前に増してキツくなっている気がしている。

そんな中で「ネット=時間泥棒説」で、飽きない暇つぶしとしてのネットは何故か?という考察があった。

恐らく問題はこの「おもしろさ」なんだろう。
<中略>
おもしろそうなことがありそうなサイトにすぐアクセスしてしまう。ここでネットの恐いところはリンクである。

自分が関心を持っているテーマについての記事には、たいてい、さらに「何やろな? おもろそうやな」と思わせるリンクが張ってある。あると見てしまうのが人情というものではないか。しかも、そうすることで何らかの料金を支払わなければならないということはない。

やはりネットだから何だという事ではなくて、こうしたメディア全部に言える事として、「なんだろうな?」を次から次へと繰り出す事が引き込む常套手段なんだろうな。ネットで言えば「コミュニティ」がking of contentsなんだろうな。


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アット・ニフティストア

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