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一番しなきゃいけない事が一番難しい


私はいつも日経ビジネスOnlineの宮田先生のコラムを読んでいる。イノベーションの観点から経営や様々な分野への切り口が鮮やかで、いつも読んでハッとする。

今回のエントリはこれまでに駄文を連ねた物事の根源を指摘している気がして、勝手に自分のまとめエントリっぽく書いてみたい。

一番の発端は物差しの違いである。物事を計る物差しだが、当然仕事に対しても物差しがあり、それによって評価があり、時に改善、時に成績、時に中止といった様々な判断が行われる。「ワーク・ライフ・バランスと「日本2.0」」というエントリに書いたのだが、その物差しがどうも古いままに来ているのではないか?という疑問である。

さらにその物差しが古いままで進めてしまい、評価が悪くなってきたら、(古いままに)度が過ぎる程に突き進んでしまい、もう古い尺度にはウンザリなはずなのに、メディアで半ば強制的に見せられ、変な相互監視社会みたいだ、と糸井氏が語ったのを「「屁尾下郎」氏のコンプライアンス不況」というエントリに書いた。

全体的に言いいたかったのは、もう改善ではなくてイノベーションが必要なのだ。という事だ。少しづつ良くして行こうとか、出来る所からとか、そういう次元では解決出来ない気がしていた。そうした矢先に宮田先生が以下のエントリを記している。

日本は今、この「ゼロベース思考」が必要な時ではないだろうか。
 明治維新以来登ろうとしてきた山は、どんな山だったのだろうか。太平洋戦争の敗戦後、登ろうとしてきた山はどんな山だったのだろうか。製造業の競争力が中心的な力で、しかも創造性よりむしろ生産性中心の山を大切にしてきたのではないだろうか。
 国内行政では、例えば道路を作って産業に寄与すると同時に市民生活を便利にしようとするのは1つの政策の山だった。
 しかし、21世紀になって、日本にとって必要なのは“新しい山”、つまり新しいビジョン、新しい目標を定めることだ。つまり、“道路山”や“生産性向上山”で踵を返し、ふもとまで下り、「ゼロベース思考」して、新しい山に登り始めることだ。
「ゼロベース思考」で過去と一度決別する

このゼロベース思考は、遺産を捨てるというある意味で捨て身の覚悟が必要だろう。無一文からスタートせよ、という事だ。既に日本は1868年(明治元年)と1945年(新日本国憲法発布)という近代で言えば2度のゼロベースでの国家構築を行った経験から(当時と違い)血を流さずに次世代が構築出来るはず。

日本人の特性としてこれを受け入れられるのだろうか?身近な研究に意外とその難しさが書かれていないか?


ヘールト ホフステード (Geert Hofstede)氏の世界50カ国1万人を超える国際調査で文化的な側面での「ものの考え方」「行動の仕方」 を5つの指標で分析した研究がある。権力格差の容認度、集団主義/個人主義、男らしさ/女らしさ、不確実性の回避度といった指標で国民性を表している。

日本を見ると不確実性の回避度が高い、つまり「不確実なものごとが起きて欲しくない」と思っているわけである。不確実なものごとの例として、例えば突然テレビが壊れた、といった不確実な出来事はすごく「いやだ」と思うという事だ。

ちょっと脱線するが、この側面は日本製品の品質の高さを支えた重要な要因である。壊れる事を嫌がる国民を相手にしているので、否が応でも品質は高くなる。
同じく韓国人もこの性格である。だから両国は液晶/プラズマで死闘を繰り広げており、両国以外の参加者は皆無である。(これだけ高い品質管理と精度管理が出来る国はそうないので、他国の出る幕がない)

話を戻すと、そうした維新や革命といったものは、国民性として「最も起きて欲しくない」事のひとつで、「今まで通りであって欲しい」と願っているのである。それが日本の国民性である。
(そういう意味でも格差社会の危惧も不確実性が高まるものとして非常に嫌がる)

ゼロベースの発想は非常に重要だ。今までの貯金や資産を全て捨ててでも次に賭けるそうでもしないと、この国は立ち直らないのかも知れない。

海の向こうのリーダ候補は「Change(変えよう)」を標語にしていると聞く。この環境変化を考えれば次の無血維新が必要で、その設計図を書ける人間は、若い人達だと確信する。今の政治家やその世代ではダメだ。

だから、そういう設計図が書ける、設計図やビジョンを共有出来る、そういう人間を育成する必要がある。だから教育なのだ。
昔から人は危なくなると、将来の子供達に未来を託した。国は危なくなると教育に力を入れて、未来を託す。

1997年に英国のブレア元首相が演説で、国の3大課題は何かと言われれば「Education, Education and Edducation 」と演じていて、その成果についても評価されている

小泉元首相の施政方針演説で有名になった故事「米百俵」も、未来の人間にその未来を託した。

だから、道路特定財源で議論もせずに変な事してないで、全部教育及び研究費に当てろ!
もう道路はいらない。(割と単純な結論bleah



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アット・ニフティストア

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